インタビュー
子どもの貧困
南三陸町における学習支援から見る地方格差 ── 東北復興支援最前線
2011年の東日本大震災発生以来、キッズドアは被災した子ども達とその家庭を支えるため、仙台に事務所を構えて学習支援と東北復興支援に取り組んできた。2017年からは、南三陸高校内に開設された宮城県初の公営塾「志翔学舎」の運営を担い、南三陸町の子ども達の学びを支え続けている。
2025年1月は、阪神淡路大震災から30年、能登半島地震から1年を迎える節目でもある。東日本大震災から14年が経つ今、南三陸町の高校生が直面している現状と課題について、「志翔学舎」の責任者を務める菊地に話を聞いた。
※内容は取材当時(2025年1月時点)のものでプライバシー保護のため一部加工・編集
菊地 和敏( きくち かずとし )
宮城県初の公営塾「志翔学舎」の責任者として、南三陸高校の生徒を支援する傍ら、東北エリア全体の学習会も統括。生活協同組合の配送営業を経て、課題を抱える子ども達を支援したいと決意し、2018年3月にキッズドアへ入職。土曜日は、町内の公民館の他、志翔学舎の施設内で南三陸町の中学生を対象とした学習支援も行っている。

南三陸高校の生徒と話をする菊地
自分と同じような境遇の子達のために
菊地は宮城県で生まれ育った。母子家庭で育った彼は、行きたい塾や習い事に満足に通うことができず、多くの制約を感じながら育ったという。
「特に小学4年生の頃、どうしてもサッカーがやりたかった時期がありました。友達に誘われて見学に行ったところ、休憩時間にみんなが駆け寄ってきて『来週から一緒にサッカーをやろうよ!』と声をかけてくれたんです。
でも、家の経済状況を考えると、それは到底叶わない夢だと自分でも分かっていたんです。それで、みんなの前で思いっきり泣いてしまって……その時の光景を、今でも鮮明に覚えています」
大学を卒業し、生活協同組合の配送営業として働いていた菊地は、あるドキュメンタリー番組に出会う。それは、千葉県の公立高校に通う生徒達を取材したものだった。
「番組の中で、高校生にアルバイトをする理由を尋ねる場面がありました。すると、約7割の子が『生活の足しにするため』だと答えていたんです。それを聞いて、私は非常にショックを受けました。
アルバイトで得たお金は、友達と遊んだり、おしゃれな服を買ったりするために使うのかなと思っていたんですが、現実は全然違っていて、それだけ困窮している家庭が多いのだと気づかされました」
自身も母子家庭で育った経験から、同じように困難を抱える子ども達をサポートしたいという思いが強まった。まずは自ら行動を起こすことが必要だと考え、キッズドアへの転職を決断した。

「志翔学舎」を運営している建物の外観
震災から14年──南三陸町の高校生の今
━ 年々減少する生徒数
宮城県南三陸町は、東日本大震災で甚大な被害を受けた地域のひとつ。その町唯一の公立高校「南三陸高校」には、2017年に公営の学習塾「志翔学舎」が開設され、以来、キッズドアがその運営を担っている。
菊地は仙台エリアの学習会担当を4年間担当した後、2022年に志翔学舎に着任した。
「志翔学舎は、所得制限や成績などの条件はなく、南三陸高校の生徒であれば誰でも利用できます。平日は午後3時半から夜9時まで開いていて、定期テスト期間中は土日も開所しています」
現在、南三陸高校の全校生徒数は約150名。ほとんどが幼い頃に震災を経験した子ども達だ。震災後、町外へ転出する子育て世帯が増えたことで生徒数は減少し、それに伴い部活動にも影響が出ている。
「生徒数が減ったことで、野球部やサッカー部のチームが単独で組めなくなってしまいました。かつて野球部の合宿所として寝泊まりできた二階建ての建物を、現在は丸ごと借りて志翔学舎を運営しています」
━ 今なお残る震災の影響
震災当時4歳前後だった現在の高校生達。その記憶は薄れているかもしれないが、影響は今も彼らの心の中や生活の中に色濃く残っている。
「南三陸町に来て気づいたのは、今なお地震に対して強い恐怖心を持っている生徒が一定数いるということです。震度2程度の小さな地震でも、すごく驚いてバッと身体を大きく身構える行動をとる生徒がいます」
津波によって家や家族を失った生徒も少なくない。
「自宅がかさ上げされた場所にある生徒も多いです。それは、津波で家が流されてしまったということを意味します。さらに、住宅が二重ローンになってしまい、金銭的な負担が大きい家庭もあります」
菊地が繰り返し語ったのは、生徒達の “移動手段の無さ” についてだった。南三陸町の面積は、東京・山手線の内側の約2.6倍にも及ぶ。
「町内のバスは1日数便しかなく、学校へは徒歩または親の送迎など限られた手段しかないんです。震災で鉄道が廃線となり、町外とつながる公共交通機関は『BRTバス(バス高速輸送システム)』に限られています。どこに行くにも時間とお金がかかる。生徒だけでどこかに出かけるのは、本当に大変なんです。自由に移動できる環境が可哀想なほどに整っていません」
震災は “過去の出来事” ではなく、今もなお、生徒たちの生活に困難をもたらしている。


志翔学舎で勉強をする生徒の様子
被災地×地方格差で制限される教育・情報・体験
━ 高校はひとつだけ ── 多様な進路が混在する生徒達の学びの難しさ
「私がまず感じたのは、地方ゆえの教育格差です。南三陸高校は子どもが少ない自治体の唯一の高校なので、ひとつの学校に、大学進学を目指す生徒もいれば、短大・専門学校・公務員試験、そして就職を目指す生徒がどうしても混在してしまいます。学年として進学が4割、就職が6割なので、授業のレベルをどこに合わせるか、先生方も大変苦労をされているようです」
4年生大学を目指して高いレベルの学習を求める生徒もいれば、基礎学力の定着が課題となる生徒もいる。通常は複数の学校で分担する役割を、ひとつの高校に求められているのだ。
そんな状況の中、志翔学舎は学校の先生と連携しながら、一人ひとりの目標に応じた支援を行っている。
「学校の先生方から『もし志翔学舎がなかったら、おそらく退学していた生徒が複数いると思う』という声もよくいただきます。生徒達がどんな進路を選ぶにせよ、それぞれが必要な学びを得られるようにサポートすることが私達の役割だと感じています」
━ 都市との距離が生む情報格差
地方に住む高校生にとって、進学を目指す上で最も大きな障害の一つが情報格差だ。入試制度や日程が複雑化する中、大学受験は「情報戦」とも言われている。
「都市部の高校であれば、自分と同じように大学進学を目指す生徒ばかりがいる環境ですが、南三陸高校では大学進学を目指す生徒は全体の2割程度。周りに受験仲間が少ないため、情報を共有する機会も限られています」
ちなみに、文部科学省の調査によれば、全国の大学進学率は59.1%。南三陸高校ではその約3分の1の生徒しか大学進学を目指していない。データからも、仲間の少なさが見えてくる。
さらに、受験に必要な情報を得る手段も都市部とは大きく異なる。
「そもそも南三陸町には大手の学習塾がないため、大学受験のための専門的な指導や受験情報を教えてもらう場がほとんどありません。
加えて、南三陸町の生徒が仙台の大学のオープンキャンパスなどへ参加するには、親の送迎や高速バスを使っても往復3時間以上かかります。物理的にも、進学に関する情報を得る難しさがあります」
そして、南三陸町の人口は約1万人。高齢化率は42%にのぼる。高齢化が進むことで、若年層の進学や就職に関する相談相手も少なくなってくる。さらに、地域内で選べる仕事も限られているため、高校生が将来の選択肢を広く思い描く機会を制限している。
「子ども達は、いろんな大人と出会うことで価値観が広がると思うんです。でも、南三陸町のような地域では、都市部に比べて圧倒的にその機会が少ない。異なる価値観を持つ大人と接する機会が減ることで、視野を広げたり、自分の可能性に気づきにくいという課題があります」
━ 社会資源の不足による高校生達の「居場所」の無さ
そして、菊地が指摘したのは、南三陸町には高校生が放課後に気軽に集まれる場所がほとんどないという現実だ。震災の影響と地方特有の社会資源の不足が、この状況をさらに深刻にしている。
「例えばカフェや娯楽施設もないし、洋服などを友達同士で買い物に行ける店もないんです。スーパーマーケットが一つ、薬局が3軒、図書館が一つ。それ以外、ほとんど何もありません。だから、放課後に友達と過ごす場所がないんです」
つまり、都市部ではあたり前の遊びや人とのつながりの体験においても、見えにくい格差が生じている。
そうした状況の中で、志翔学舎は高校生の “居場所” としての役割も果たすようになる。
「志翔学舎では軽食も提供しているので、家の人が迎えに来るまでの間、友達とゆっくり過ごすことも可能です。学年を超えて縦で繋がるたまり場にもなっています。生徒達にとって志翔学舎は、勉強する場でもあり、進路相談をする場でもあり、居場所でもあるのかなと思っています」

志翔学舎で友人と過ごす生徒達の様子
情報を提供し、少し背中を押すだけでもいい
━ 大学を知らない生徒への支援
菊地は、高校3年生から志翔学舎に通い始めたある生徒の話を教えてくれた。
「その生徒は大学進学を希望していましたが、『家族や親戚を含めて誰も大学に進学したことがなく、そもそも大学とは何なのかがわからない』という相談を最初に受けました」
南三陸町では大学生と話す機会も少なく、身近に大学に進学したロールモデルも少ない。また、大学見学に足を運ぶことも簡単ではない環境だ。
「そこで、一緒に大学のパンフレットを取り寄せたり、ホームページを見たりしながら、『大学にはこういう学部学科があるんだよ』『サークルは部活とは少し違ってね』と、大学の基本的な情報を伝えていきました」
その会話を重ねていくうちに、その生徒の大学進学への意欲は次第に高まり、学校の定期テストにも真剣に取り組むようになる。そして、無事に大学に合格した。
「卒業後にその生徒と再会したとき、『大学に進学して本当に良かった。自分の視野が広がった』と言われました。志翔学舎での関わりがその一助になれたことを本当に嬉しく思います」
━ イベント参加に消極的な地方の生徒
もう一人、菊地が仙台で出会った女子中学生の話をしてくれた。彼女は中学在学中に英検準2級を取得するほどの実力を持っていた。
ある日、世界中から同年代が集まる約1週間の英語キャンプの存在を知った菊地は、彼女に紹介。応募すると見事審査を通過し、広島と愛媛で開催される英語キャンプに参加することになった。
「出発前日は、『初めて飛行機に乗るのが怖い』『うまくコミュニケーションが取れるかな』と不安な気持ちをとめどなく口にしていました。学習会の後に1時間ほどじっくり話を聞き、励まして送り出しました。
でも、キャンプから戻ると『すごく充実していて、たくさんの友達ができた』と元気に報告してくれたんです。それ以上に目を輝かせながら話してくれたのが、キャビンアテンダントの仕事がすごく素敵に思えたということでした。それまで将来の夢がなかった生徒でしたが、この経験をきっかけに『CAになりたい!』と口にするようになりました」
その後、その生徒は英語を学べる高校に進学し、高校卒業時には英検準1級を取得。現在は目標を外交官に変え、努力を続けている。
「経済的に厳しい家庭の生徒でしたが、ひとつの経験が人生を大きく変えることを実感しました」
東京の学習会に参加する生徒達の様子も知る菊地は、地方の生徒はイベントなどの参加に消極的な傾向があると感じることが多いという。
「地方の生徒達に『こういうイベントがあるよ』と伝えても、『自分はいいかな……』とためらう子が少なくありません。会場までの距離が生む心理的な理由なのかははっきりしませんが、『〇〇ちゃんが行くなら私も行く』と周囲の様子をうかがい、単独の行動を避けるように感じます」
だからこそ、菊地は最初の一歩を踏み出す勇気を持てるよう、しっかり背中を押すことが大切だという。

生徒に学習支援をする菊地
どこにいても、学びの機会を届ける
現在急速に少子高齢化が進み、地域の社会資源がどんどん減る中で、南三陸町のような自治体は間違いなく数多く存在する。そうした地方に住む子ども達の中には、学習支援を必要としている子が多くいるだろう。
「地方格差の解消は簡単ではありません。今、キッズドアができる最善の支援はオンライン学習支援かもしれません。パソコンとWi-Fi環境さえあれば、どこにいても学習の機会を得られますし、東京の大学生とオンラインでキャリアトークをすることも可能になります」
キッズドアは “すべての子どもが夢や希望を持てる社会” というビジョンを掲げている。
「たとえ人口が少ない地域であっても、支援を求める子どもがいる限り、活動を続けることが私達の使命だと思います」
実際に、菊地は能登半島地震発生直後にリーダーとして支援プロジェクトを立ち上げ、経済的に困窮する子育て世帯への食料支援を開始。その後、パソコンやWi-Fi等の物資支援へと発展し、延べ235世帯を支援した。
「私自身、宮城で震災を経験しましたが、震災後1年ほどは生活の再建が最優先されます。しかし、1~2年経つと、学習への意識が高まります。能登半島地震から1年が経った今、学習支援のニーズがさらに増えてくるのではないかと考えています」
すでに、能登半島地震で被災した高校生1名をキッズドア学園高等部オンラインに引継ぎ、サポートが始まっている。この一歩こそが、キッズドアのビジョンに近づくための道だと、菊地は信じている。
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【シリーズインタビュー記事】
- #10 南三陸町における学習支援から見る地方格差
- #09 子どもが変化する可能性を奪う体験の貧困
- #08 理解が得られにくい今こそ必要な高校生世代への支援
- #07 子ども達は様々な大人との出会いで成長する
- #06 継続的に活動することが子どものためになる
- #05 子どもの居場所には地域の課題を解決する可能性がある
- #04 英語学習は格差が表れやすい
- #03 準貧困層は行政の支援の網からこぼれ落ちている
- #02 受講生を増やしても、全国に支援はまだ届いていない
- #01 僕は、今の時代こそ居場所が必要だと思う
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